16MBのメモリが貴重品
10数年前のPC事情とは
若い読者は知らないかもしれないが、かつてPCは「PC/AT互換機」などと呼ばれていた。それから10数年、PCはすさまじい進化を遂げている。昔話で恐縮だが、筆者が初めてPC-DOSやOS/2をインストールしたPCには、Pentiumではなく、その前世代のCPUである「Intel 80486(33MHz)」や「80486 DX2(66MHz)」、「同DX4(100MHz)」が搭載されていた。メモリは16MBのSIMMがぜいたく品だったし、Pentium時代に突入したあとも、2枚1組で手に入れた64MBのSIMMなどは、マザーボードやCPUを変更しても大切に大切に扱ったものだ。
このような話は、古い友人と飲むときの絶好の酒のさかなとなるのだが、当時をしのぶ話をしていると、いつしかその話題が台湾に飛ぶことが多い。当時のPC/AT互換機を支えるパーツ類は、「made in Taiwan」なくして語れないからだ。筆者は、台湾のさまざまなメーカーから発売されていたパーツ類こそが、PC/AT互換機(現在のWindowsマシン)の下支えをしたとさえ思っている。
もっとも、PC/AT互換機の初期のころは、米国製と台湾製の間には歴然とした差があり、台湾製は嫌われていた。それが、いつの間にかに台湾製パーツもみるみる進歩し、リーズナブルな価格でPCの機能をアップさせてくれる「心強い存在」となったのである。
Computex今昔物語
華やかな時代も今は昔…
そんな台湾で行われるアジア最大のPC見本市が、「Computex Taipei」だ。筆者の記憶では、Computexがいちばん盛り上がっていたのは、1995年から2000年前後の時期だったように思う。Windowsで言うと、Windows95からWindows 2000 SP1辺りの時代だろうか。しかし、その時期を境に、Computexは徐々に熱気を失っていく。今年のComputexなどは、最盛期とは比較にならないほどのんびりしたものだった。例えばComputexの最盛期は、プレスルームで席を探すのも困難なほどであった。サンドイッチと飲み物が提供されるランチタイムでは、何度でもおかわりができたし、プレスルームは巨大な談話室と化していたように思う。そして休息の間に、顔見知りのライターと情報交換を行ったものだ。ところが、そのプレスルームも年々縮小され、数年前からは談話コーナーには4つほどのテーブルしか用意されないようになった。もちろん、プレス向けにはそれでも十分なのだが、往時とは比較にならない閑散とした空気は、全盛時を知っている者としては悲しいかぎりであった。
Computexが最も華やかだった時期というのは、毎年猛烈な勢いでCPUやバススピードが向上していたころと一致する。66MHzが100MHz、400MHz、800MHz、そして1GHzへと、わずか数年で10倍を超えるスピードアップが実現し、まさに「ドッグイヤー」という形容にふさわしい技術向上が続いた時代だ。
そしてそれにこたえるかのように、インテルやAMDはメイン会場ではなく、少し離れた会場を借り切ってブースを出すのが恒例だった。また、プレスを集めたセッションでロードマップを発表するのも常で、両社のブースには毎年数多くのプレスが押しかけていたものだ。しかし、今年はインテルのブースもAMDのブースも、驚くほど人が少なかった。もちろん一つ一つのコンテンツは充実しているのだけれど、CPUのロードマップそのものに興味が薄れてきたというのが実情ではないだろうか。
台湾の買物事情と
ITイベントが衰退したワケ
せっかくなので、Computex以外の台湾事情にも触れておこう。Computexが開催される台北市のPCショップと言えば、光華商場と台北駅のNOVAが二大拠点である。東京で言うと、秋葉原(光華商場)と新宿(NOVA)といったところだ。筆者はComputexに行った際は、必ずどこかのPCショップで台湾らしいアイテムを購入するのが常だった。特にComputexの3日目あたりは、早めに仕事を済ませて、夜は仕事仲間たちと買い物や飲み会に繰り出したものだ。今年も、せめて夜の街くらいは楽しもうと光華商場へ足を運んだのだが、PCショップに並ぶパーツ類にはがっかりさせられた。もちろん、光華商場のにぎわいは例年と変わりはない。現在光華商場は新しいビルが建築中で、今年は建築中のビルの脇に仮設のプレハブ群が建てられていたのだが、むしろ人の往来は例年以上だったように思う。
しかし、肝心のPCパーツが何ともお粗末だ。店員と話をしていても「秋葉原のほうが安いでしょ? 何でわざわざ台北で…?」と首をかしげられる始末だ。台湾ドルと比べて日本円は相対的に安いという事情もあるが、店頭に並んでいる品物に割安感はない。これは光華商場だけでなく、観光スポットである「士林夜市」の屋台などでも同様だった。士林夜市の屋台では、「399台湾ドル均一」で商品が売られている場合が多い。これは日本円に直すと1,600円程度であり、決して安くはない。それでも、値ごろ感のある品物が並んでいれば魅力も感じるのだが、食事はともかく、衣類やアクセサリには魅力が少なかった。日本の「100円ショップ」に相当するのが士林夜市の魅力だったはずだが、安さで知られた士林夜市の屋台も、日本の100円ショップには太刀打ちできなくなっているようだ。
以前は、台湾に出張するたびに数十万円程度のパーツ類を買い込み、これを日本のネットオークションで売り払うだけで旅費くらいは軽く浮いたものだ。だが、今の台湾と日本では立場が逆転しているのかもしれない。
今回の台北を訪問してみて、ラスベガスのCOMDEXを訪れていたころのことを思い出した。ソフトバンクが買収する直前の、最後の「純正」COMDEXだ。あのころは、PC関係のコンテンツが毎年肥大し、玉石混交の製品であふれ返っていた時代だった。そして、本来は「商談会」だったはずのCOMDEXが、いつの間にか米国らしいイベント中心の派手なショーと化していった。言わば、COMDEXが最もらん熟した時期だったように思う。そのときの飽和感のようなものが、今回のComputexにも漂っていた。
もっともCOMDEXの場合は、PCパーツが飽きられたわけではなく、肥大化するショーそのものへの疲弊感もあった。しかし今回のComputexでは、明らかに「コンピュータへの飢餓感の衰え」が存在していたように思う。
今や高速CPU、大量のメモリ、大容量ハードディスクは、簡単に手に入る、ごくあたりまえの製品となっている。つまり、「ショーのためだけの強力なコンセプトモデル」を創り出すことが、非常に困難な時代に入っているのだ。この状況は、日本のITイベントでも同様であろう。少なくともハードウェアを中心においているかぎり、この手のショーの大きな成功は見込めない。IT技術が成熟し、飽和感すら感じる今だからこそ、新たな視点に立ったITイベントの登場に期待したいものだ。
NETWORKWORLD9月号(2006年7月18日発売)掲載
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