コピーが容易なデジタルデータ
DRM技術は“いたちごっこ”
最近、ニュースやブログなどさまざまな場面で、「著作権」周辺の話題が取り上げられることが多い。最大の理由は、音楽や映画、ゲームといったコンテンツのデジタルデータが世界中で大量に流通するようになり、その不正コピーもまた、大量に流布するようになったことだろう。
デジタルデータ化されているコンテンツは、元のコンテンツと寸分たがわない完全なコピーをたやすく作成することができる。そのうえ、コピーにかかるコストはほとんど「ゼロ」で、インターネットを使えば世界中のどこへでも簡単に届ける(コピーする)ことが可能だ。そのため、音楽や映画、ソフトウェアといったコンテンツが、WinnyやShareなどのファイル交換ソフト、あるいはWebアップローダなどを通じて出回っている。ときにはCD-ROMやDVD-ROMの形で、堂々と街頭で販売されていることすらある。
不正なコピーを防ぐために、最近はさまざまな著作権保護(DRM:Digital Rights Management)技術が採用されている。だが、こうした技術的防衛策は、それを破ろうとする者との「いたちごっこ」に陥ることが多い。
例えば、市販のDVDビデオには「CSS(Content Scramble System)」というDRM技術が採用されているが、これを解除(回避)する方法が発見され、ネット上で公開されたため、現在ではDVDビデオをコピーできるツールが多数出回っている。この反省を踏まえ、次世代DVD(Blu-ray、HD DVD)ではより強力なDRM技術「AACS」が採用されているが、こちらも早々にプロテクトを解除する鍵データがネットで暴露され、それを無効にするためにAACSのアップデートが行われている。そのほかのDRM技術の多くも似たり寄ったりの状況であり、デジタルコピーを防ぐ“最終兵器”はまだ登場していないと言って良い。
著作権は「だれ」を守るものか
歴史的経緯を見る
ところで、簡単に「著作権の保護」と言うが、そもそもこれは「だれ」の権利を守るための仕組みなのだろうか。
「著作権」という概念が本格的に意識されるようになったのは、15世紀のグーテンベルクによる活版印刷技術の確立以降と言われる。以降、書物を大量にコピー(印刷)して頒布することが可能となり、「出版」という新たな産業が生まれた。この産業を保護し、育成するため、16世紀になるとベネチアなど出版の盛んな地域では個々の書物に対する独占的な「出版権」が認められるようになり、1662年には出版権を定めた最初の法律がイギリスで制定された。つまり、産業保護を目的として、コンテンツを創作する著作者の権利よりも先に、それをコピーして販売する者(この場合は出版業者)の権利に目が向けられたのである。
数百年の時を経て、現在では著作者の権利が主となっている。コピーを作り頒布する権利(複製権)などは、著作者が出版社などに譲渡する形となっているのだ。ただし、現実には著作者自身が大量のコピーを作って頒布することは難しいため、コピーを頒布する企業(出版社やレコード会社)の権利も変わらず保護されている。
現在、著作権の概念がゆらぎ、議論が活発になっているのは、デジタル技術を使いて著作者自身でも容易にコピーが頒布できるようになりつつあるからだ。法律の整備が後手に回る中、「著作権はだれを守るものか」が再び問われなおしているのである。
「著作権保護期間の延長」と
「著作権法の非親告罪化」
著作権法について、2つの話題がネットで注目されている。
1つは「著作権保護期間の延長」の問題だ。現在の日本の法律では、映画などの一部ジャンルを除いて、著作権の保護期間を「著作者の死後50年間」と定めている。50年が経過して著作権が切れたものは、公共の所有物(パブリック・ドメイン)として、コピーの配布も含めだれでも自由に利用することができるようになる。
だが最近、この著作権保護期間を「70年間」に延長すべきだという議論が一部で沸き起こっている。筆者はこのあたり、大変に憂慮すべき問題だと感じる。さまざまな著作物や表現は、過去の優れた文化の蓄積の上に成り立つ。著作権の切れた上質なコンテンツが手軽に手に入る環境は、さらにすぐれた文化を生み出していくための土壌として重要なのだ。ちなみに、質の悪いパロディや模倣、コピーの氾濫を危惧するために期間延長を求める主張もあるが、「質が悪いかどうか」は社会や市場が決めることであり、そもそも保護期間の延長とは別の話である。
さらに、著作権の許諾を得る過程の大変さも問題となってくる。例えば、過去のある写真を出版物に使いたい場合、著作者に問い合わせて許諾をもらう必要がある。だが、著作者の死後は、その権利がだれに譲渡/相続されたのかを自力で調べなくてはならない。この作業は簡単ではなく、結局、その道のプロでなければ許諾を得られることは少ない。保護期間が延長されれば、その困難はさらに増すだろう。
アメリカなどでは、Webから著作権許諾の一括管理ができるシステムが登場して話題となった。日本にもこのような永続的な著作権管理システムがあれば、著作権者とそれを利用したい者の双方にメリットがあると思う。著作権の厳密な管理は必要だろうが、度を超えた保護は不要なのではなかろうか。
もう1つ、現在政府の諮問機関によって「著作権法の非親告罪化」が議論されているということも話題になっている。例えば、何らかの著作物を勝手にコピーして販売した場合は罪に問われるが、現状ではこの罪は「親告罪」と呼ばれる種類のものとなっており、被害をこうむった者(つまり著作権者)が告訴を行わなければ罪を問えない。つまり、警察が悪質なDVDコピー業者を見つけたとしても、公訴の提起ができない(訴訟ができない)のである。
近年の不正なコピー商品の氾濫に対応するためにこうした議論がなされているのだが、いわゆる「コミケ」などで同人誌などを制作しているサークルなどを中心に危機感が広まっている。これまで漫画やゲームのキャラクターを使って(著作権者の黙認の下に)二次創作やパロディ作品を制作していたものが、警察の「さじ加減1つ」で摘発されるようになるのではないか、というのだ(もちろん同人誌だけに限った話題ではないのだが)。もっとも、この「非親告罪化」には賛否さまざまな意見が出ており、今後は諮問機関による議論の行方に注目が集まるだろう。
かつて、日本の主力輸出産業は鉄鋼や造船であった。それが自動車などへ切り替わり、今後はコンテンツ産業だと言われている。デジタルコンテンツは容易に海を渡る。そして、著作権保護に関する取り組みは「お国の事情」により各国で微妙に異なる。すぐれたコンテンツを安全に輸出するためにも、著作権の保護だけでなく、その「積極的活用」にまで幅を広げたルール整備が必要なのではないだろうか。
(NETWORKWORLD 8月号(2007年6月18日発売)掲載
|