世間を驚かせた
自殺サイト殺人事件
先日起こった「自殺サイト殺人事件」は、世間に大きな衝撃をもたらした。自殺サイトで知り合った若い女性や男子中学生らを連続で殺害したという、何ともショッキングな事件である。新聞報道によると、逮捕された前上博容疑者(36)は、「男でも女でも、口をふさいで苦しむ姿に性的興奮を覚えた。苦しむ顔が見たかった」と供述しており、当人に自殺する意思などなかったという。近年、ネットがらみの犯罪は大きく報道される傾向があるが、今回の事件はあまりにも猟奇的だったため、いつにも増して大きな議論を呼んでいる。
インターネットをあまり利用しない人々にとって、この事件は、インターネットの暗黒面を示す象徴的な事件のように思われているのではないだろうか。仕事柄インターネットを日常的に使っている筆者も、正直このような事件は予想できなかった。
「自殺サイト」というのは、その名の通り自殺志願者や自殺に興味のある人々が集うWebサイトのことだ。内容は掲示板であったり、ブログを使った日記形式だったりする。2003年ごろから、見ず知らずの他人どうしによる集団練炭自殺が頻発し始めたが、その背景にはこの自殺サイトの存在がある。元々自殺願望が小さい人々であっても、志願者どうしがお互いに刺激し合うことで、最後の一線を踏み越えてしまうことも多いらしい。
ちなみに前上容疑者は「江戸川乱歩の小説に影響を受けた」と語っているらしいが、今回の事件にはまさに古典ホラー小説のような猟奇的雰囲気が漂っている。しかも、きっかけはインターネットという超現代的な手法。もはや小説は、現実には追いつけないのかもしれない。
日本の自殺事件から生まれた
オーストラリアの法案
2005年6月24日、オーストラリアにおいて、自殺をあおったり自殺の方法を広めたりするような行為を禁止する刑法改正案が議会を通過した。そのような行為を犯した者に対しては、オーストラリアドルにして個人で11万ドル(約900万円)、法人で55万ドル(約4,500万円)の罰金が科せられる。この法案のきっかけになったのが、日本での自殺サイトによる集団自殺の連続発生だったという。連邦議会提出時の演説で、オーストラリアのラドック法相は「破壊的な意図を持ってインターネットを利用する者たちから、無防備な個人を保護する必要がある」と述べている。ちなみにオーストラリアには、自殺に用いられる器具の輸出入を禁止する税関規則があり、もともと日本に比べて自殺事件に敏感な国であった。
その日本だが、警察庁によると、2003年の1年間で自殺サイト経由の自殺事件は12件発生し、死者は計34人。同じく2004年は19件、計55人の死者が確認されている。100人にも満たない死者の数だが、甘くとらえるわけにはいかない。事件として表に出ているのはごく一部で、その数倍にも及ぶ潜在的な志願者がいるはずだからだ。
実は2003年から2004年にかけて、筆者の周りでも数名の自殺未遂者がいた。詳細は省くが、中には自殺サイトに端を発した例もあった。このような表に出ない未遂事件を含めると、自殺がらみの事件が相当数にのぼることはまちがいないだろう。
自殺サイトに
助けられる人々とは
このように自殺サイトの暗黒面ばかりに目が行きがちだが、実は自殺サイトにはさまざまな側面がある。「心中仲間を募る」というのも1つの側面ではあるのだが、それだけの目的で存在している自殺サイトは少ないのである。自殺を哲学的、経済的に考える掲示板があったり、自殺を思い止めてほしいという悩み相談のコーナーがあったり、身内に自殺者がいる人々どうしの嘆きの場があったりと、多くは自殺の周辺に存在するさまざまな問題について語り合う場なのだ。
ちなみに自殺サイトは、運営方針によって自殺を認めるものと、自殺を認めないものに分かれる。自殺を認めないWebサイトは、自殺を思い止めるためのさまざまな励ましなどであふれている。また、自殺サイトという特徴からか、運営者の住所や氏名、電話番号などの個人情報をきちんと公開しているところも多い。
自殺を認めているWebサイトでも、みずからの自殺を想像したり、実行までのさまざまな準備を整えたりする過程で、自殺願望が浄化される例があるようだ。つまり、自殺サイトというのは、「自殺を助長するWebサイト」という単純な構図のみでとらえることはできないのである。
もちろん、自殺サイトの存在が自殺を誘発していることは否定できない。特に自殺への熱烈な賛同者やカリスマ的な自殺指導者に出会ってしまうと、気持ちが高揚し、単なる自殺芝居ではなく本格的な心中へと移行してしまうこともあるようだ。人が集まる「Webサイト」という性質上、今後も集団自殺は存在し続けるであろうし、それに倍する未遂事件も起こり続けるだろう。しかし前述のように、自殺サイトによって自殺を思いとどまった人々や、身内の自殺という悲しみから立ち直っていった人々もいるということを見逃してはいけない。
そういう意味で、今回のような事件が起こったことは非常に残念である。この事件により、自殺に悩む人々が互いに疑心暗鬼になってしまうと、今まで有効に働いていた自殺サイトのプラス面がまったく機能しなくなってしまうおそれがある。また、前上容疑者のような悪意のある人々が心中をリードし始めると、精神的に弱い立場の自殺志願者はどうしても流されてしまう。最終的に、今回のように欲望のための犠牲となってしまう結果になりかねない。
別の問題もある。今回のような事件は、容疑者の特定が困難であることだ。前上容疑者は運よく逮捕できたが、例えば履歴の残るインターネットカフェなどではなく、セキュリティの弱い無線LANアクセスポイントを使って自分のノートブックPCから自殺サイトにアクセスしたら、捜査はさらに難航したはずだ。あるいは、飛び込みで大都市のインターネットカフェを使うという方法もあっただろう。もしもこのような手法を取れば、前上容疑者はまだまだインターネット上を暗躍していた可能性がある。
ともあれ、前上容疑者の行為は、自殺サイトの住人にとって大きな衝撃となったのではないだろうか。前上容疑者は、自殺サイトというコアで排他的なWebサイトの中で常連となり、周囲の人々の中に溶け込みつつ、犯罪の機会をうかがっていたのだから。
もともと、世間一般に思われているほど、自殺サイトは異様な雰囲気で満ちているわけではなかった。むしろ自殺願望という心の病を自覚して、助けを求める人々も多かった。それが今回の事件により、本来あった自殺サイトの有益な相互作用まで機能しなくなるのであれば、ほんとうに残念である。
NETWORKWORLD 11月号(2005年9月17日発売)掲載
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