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いいもんだ田舎暮らし

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千葉・南房総 とにもかくにも海を眺めて

【前編】「田舎暮らし応援民宿」の管理人

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漁師町の一角、右側の薄茶色の二階家が新しい住み家だ

 田舎暮らしを始める時に最も苦労するのは、自分たちの望み通りの土地や家を見つけることだ。さらに、その物件が予算内かどうかも大きなポイントになる。移住希望者たちは理想の場所を求めて資料を集め、現地を訪ね歩き、さまざまな角度から吟味してやっと物件を決める。

 これまでに取材してきた人たちは、大抵がこのプロセスをたどっている。しかし、堀内英哉さん・千鶴子さんのケースはいささか違う。インターネットで情報を検索していて見つけたのは、南房総にオープンする移住希望者のための施設の「管理人募集」告知だった。

クジラ料理が食卓を彩る町

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パソコンや雑誌が置かれた2階の部屋で

 房総半島の先端にある館山市を囲むように位置するのが2006年に6つの町とひとつの村が合併してできた南房総市である。富浦側は東京湾に面し、千倉側は太平洋と、ふたつの海を持つ温暖な地である。

 堀内さん夫婦が移住したのは太平洋側の和田浦だ。和田漁港周辺の街並みに暮らす人々のほとんどは漁業を営んでいる。国道沿いに商店や料理店があるが、国道をそれると細い道に面して引き戸の玄関がある家々が密集している。

 和田浦の名物は「クジラ料理」だ。捕獲頭数に制限はあるが、和田漁港は近海捕鯨が許可されており、解禁になる夏期にはツチクジラが揚がる。家から歩いて1分の所にある堀内さんお薦めのレストラン「ぴーまん」ではツチクジラのから揚げや、刺し身などを出し、それを目当てにやって来る観光客も多い。その光景は華やかに見えるが、この地域にも高齢化、過疎問題などが生じている。

 特定非営利活動法人として千葉県に認可された「南房総いなかぐらし応援団」は、南房総が抱える過疎問題を解決すべく建築会社、不動産業者、建築家、産婦人科医、塾講師などが参加して発足した団体である。「田舎に人を呼ぶためには、まずは体験施設を造ろう。安く泊まれたら、長期滞在して土地や家を探すのに最適だろう」と考えた彼らは、経営者が亡くなってから空き家になっていた漁師町の民宿だった建物に目を付けた。その空き民宿は「田舎暮らしスタートのベース基地」にふさわしいものだった。

 しかし、法人のメンバーは全員が職を持っており、施設の管理までできない。そこで管理人の募集をしたところ、応募してきたのが堀内さん夫婦だった。

夫婦共通の思いがかなう

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和田浦名物クジラ料理、ぴーまんの「黒滝」定食

 「田舎暮らしを決意した時に、過疎地の募集情報が掲載された冊子を総務省にもらいに行きました。そこには北海道や山陰地方の情報は詳しく出ていたのですが関東周辺、ましてや海沿いの暖かな地域の情報はほとんど載っていませんでした。わずかに千葉・鴨川の情報があったくらいです。仕方なく自分で探すことを決意しました」と、英哉さんが言った。

 最初に行ったのはインターネットの検索だった。鴨川や房総半島の土地や家屋の情報を入手するためだ。

 「私の出身地は神奈川県の横須賀で、幼いころは海に潜って遊んでいたから、もう一度海のそばに帰りたいという望みがありました」と、英哉さんが言えば千鶴子さんも続ける。

 「私は山口県の下関出身です。遠くに海が見える所に住んでいましたから、やはり海が見える場所に住みたかった。海辺に住むとなると、洗濯物が乾かない、潮をかぶってたいへんなどと友人たちは声をそろえますが、それでも海のそばがよかったのです」

 英哉さんが37歳の時に千葉市の稲毛にマンションを購入、夏になるたびに房総の海へ遊びに来ていた。その時に見たきれいな海と、家族とのたくさんの思い出が房総への思いを後押ししていた。

 しかし、なんの情報も持たずに房総を訪ねても成果は期待できない。開いたパソコンで情報を収集しているうちに、思わぬ募集広告を目にした。それが施設の管理人募集の記事だった。インターネットで記事を見つけてから2週間後、堀内さん夫婦は面接のために館山へ出かけた。

移住者プロフィル

堀内 英哉さん(68) 千鶴子さん(67)

 神奈川県横須賀市に生まれた英哉さんは東京の大学を卒業後、セラミックスなどを製造・販売する会社に勤務。山口県下関市に生まれ育ち、15歳で東京に出てきた千鶴子さんと東京支店で知り合い結婚する。その後、36歳でデザインとマーケットリサーチの会社を設立。46歳の時に会社をたたんだが、グラフィックデザイナー、専門学校の講師などで生計を立て64歳で勇退。2007年11月に千葉県南房総市に移住した。


2008年3月14日  読売新聞)

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