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教育ルネサンス

教育県 検証(9)

「地方の星」育成に活路

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JR岡山駅前に立つ旧制六高生の銅像。教育県岡山のシンボルともいえる

 出身県が教育県と呼ばれることを、著名人はどう見るか。

 「提灯(ちょうちん)教師」。教師が夜遅くまで働き、提灯を手に帰宅した伝統から、長野県で使われた言葉だ。この言葉も引き合いに出しながら「信濃教育会の歴史を調べたことがあるが、それはすごい。明治から戦後の一時期まで、教育県としての実績を持っていたのは事実だ」と語るのは長野県出身の作家で東京都副知事の猪瀬直樹さん(61)だ。

 信州大付属小中学校、県立長野高校で学んだ。最先端の知識を披露する教師や、旧軍出身の気迫ある教師も目立ち、「自分自身の経験を振り返ってみても、教育熱心な先生は大勢いた。教師のレベルはかなり高かったのではないか」。

 ただ、「時代背景もあったと思う」。教育県という言葉が、県民性と結びつけられることには批判的だ。

 岡山県出身の芥川賞作家で、ベストセラー小説「博士の愛した数式」で知られる小川洋子さん(45)は、現在の岡山県立図書館の充実ぶりについて、「私が子供のころにもそんなものがあったらなあと思った」とうらやましげだ。

 県立岡山朝日高校出身。推薦入学で進学先が決まった後は「授業が終わると暗くなるまで図書室で本を読む日々」を過ごした。日本の近代文学から万葉集、枕草子の全集に至るまで、幅広い分野の本を読みあさった。「読みたいなと思っても読み切れないくらい本があった。自分なりに興味があるものを集中して読める環境だった」と当時の高校の図書館の充実ぶりを披露する。

 現在は兵庫県在住。「息子が中学校に入った時に、ずいぶんのんびりしていると感じた。私が子供のころの岡山の先生は、本当に熱心だったと思う」。故郷ゆえの身びいきだけではないかもしれない。

 エコノミストで、双日総研副所長の吉崎達彦さん(47)は富山中部高校出身だ。その時代を振り返り、「教育を受けている間は、それが普通だとは思っていたが、今から考えると高校の先生たちはなんて職務熱心だったんだろうとわかる」と笑う。定期試験が終わったらすぐに次のテストの日程が発表される。他県で見られる試験休みはなく、「休まる暇がなかった」。

 富山県の教師の熱心さには今も定評があるが、やはり「歴史的な風土や地理的な条件が重なって出来るもの。だいたい、『今年は東大に何人入った』かなんていうのが県をあげて好きなところですから。普通の県ではそういうのまったく話題にならないでしょう」。

 エリート教育に詳しい竹内洋・関西大教授(66)(教育社会学)は「明治時代には『教育を通じて中央にエリートを出す』ために各県が頑張った。旧制高校の誘致合戦が激しかったのもそのためだ。良い人材を出すことが地域の発展につながったわけだ。その流れは戦後も続いてきた」と見る。

 だが、現状と将来については、こう語る。

 「今までの教育県は東大に人を送り込んでいれば良かった。だが、出身者を中央官僚にすることが地域の利益になる時代ではない。地方のリーダーとなる層をいかに育てるかが、これからの教育県のカギだろう」

 地方分権の流れの中で傾聴に値する指摘だろう。(宮本清史)

 次週からは、再編の波が押し寄せている塾や予備校の教育サービスについて考えます。

(2008年2月23日  読売新聞)

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