命の教育 模索続く 須磨連続児童殺傷事件から10年

   2007/05/22

 神戸市須磨区で一九九七年に起きた連続児童殺傷事件は、中学三年生が犯人だったことで、とりわけ教育関係者に与えた衝撃は大きかった。阪神・淡路大震災から二年余しかたたない時期だっただけに、「命」を大切にする「心の教育」の充実が指摘され、この十年でさまざまな取り組みが学校現場で実践されてきた。どのような成果が挙がり、課題が見えてきたのか。兵庫県内各地で取材した。(霍見真一郎、佐藤健介、土井秀人)

県教委 「実感プログラム」展開

 県立教育研修所・心の教育総合センター(加東市)によると、心の教育は、「トライやる・ウィーク」「スクールカウンセリング」「命の大切さを実感させる教育プログラム」の三つの柱で構成されている。

 中学二年生が一週間、地域の中で職業体験などをする「トライやる―」は九八年に始まった。幼稚園を選んだ生徒が幼稚園教諭を目指し、不登校だった生徒が学校に復帰したこともあるという。二〇〇五年までに四十二万人が活動。兵庫から全国へと広がっていった。

 スクールカウンセリングは、臨床心理士を学校に配置。子どもたちが抱えている悩みやストレスを打ち明ける場所を設けた。九五年のスタート時は十四校だったが、〇七年は約三百五十の公立全中学校と三十の小学校に広がった。

「命の大切さ」を実感させる
教育プログラムの視点
■自尊感情をはぐくむ
 周囲の愛情などを実感させることで、自身を大切な存在と思える感情をはぐくむ
■体験活動を充実させる
 自然や人とのつながり、生死などに触れる体験を通じ、感性や想像力を豊かにする
■情報社会の影の部分に対応する
 仮想現実と現実の違いを認識させ、有害情報から身を守る力を身に付けさせる
■命を守るための知恵と態度を育成する
 命をおびやかす行為を防ぐ知恵などを学ばせ、自分と他人の命を守る態度を育てる
■教員自身が命の意味を問いかける
 教員自身が与えられた命を自覚する研修を充実させ、命の深い感覚を子どもに伝える

 「命の大切さを実感させる教育プログラム」は〇六年にスタート。「誕生の喜びと感動」「限りある命の尊さ」など、命を題材にした五つのテーマで二十四プログラムを体系的にまとめ、教師がクラスの実情に適したプログラムを選択できるようにした。

 JR脱線事故の負傷者の体験を先生が聞き取って生徒に伝えたり、自然放鳥されたコウノトリを通じ、ほかの命によって命が支えられていることを学んだりしている。

 冨永良喜同センター長(54)は「人を攻撃することで、初めて生きている実感を持つ子どもがいるが、感動体験を通じてその実感を持ってほしい。そのためにも、『命』を実感させるプログラムをもっと用意していきたい」と話している。



◆子どもの死生観 小3で確立 県内小中学生3719人を調査

 教員や専門家らでつくる研究グループ「兵庫・生と死を考える会」が、県内の小中学生を対象に実施したアンケートで、子どもの死生観(しせいかん)が小学校三年生ごろに確立することが浮かび上がった。

 調査は二〇〇四年と〇五年に、公立の小中学校などの三千七百十九人を対象に実施した。

 「自分がいつか死ぬと思うか」という問いに、「死ぬ」と答えた割合は、小学一年の約70%から小学三年では約90%まで増加。同会は「死生観は小学三年で確立するのでは」としている。

 「自分が死んでも生き返るか」の質問には、約10%が「生き返る」と回答。毎日ゲームを三時間以上する子に限ると、その割合は約16%になる。

 特異な回答(「人は死なない」「死んでも生き返る」など)の子どもをさらに分析すると、テレビの暴力シーンを好む子どもは「生き返る」と回答する割合が高かった。「自殺願望がある」「自殺や殺人を肯定する」と答えた子どもも、テレビやパソコンと向き合う時間が長い傾向が出た。

 同会は「死の概念が確立する時期に、暴力が含まれる仮想現実と触れる時間が急激に増えることが問題」と指摘する。


◆わが子誕生「教材」に 但馬の教員、妻と協力

 つづら折りの山道を抜けた但馬の小さな小学校で、昨年ユニークな授業が実施された。香美町立小代(おじろ)小学校で当時四年生を担任していた教員が、妻の協力でわが子の誕生を「教材」に取り組んだ育児体験プログラム。出産前から妊婦のおなかに耳を当て、成長していく乳児を毎月抱いた児童。満十歳を記念した「二分の一成人式」では、自らの半生を振り返り、家族への感謝を言葉で表した。

(上)2006年10月、赤ちゃんを児童に抱かせる菜穂子さん(左)。「命」の重みを実感させる(下)同12月、樹岡教諭の妹(左)も、おなかにいる胎児の音を聴かせた=いずれも兵庫県香美町小代区実山、小代小(樹岡教諭提供)

 樹岡(きおか)正宏教諭(32)、菜穂子さん(29)夫婦。兵庫県教委が進める「命の大切さを実感させる教育」の一環として企画した。

 菜穂子さんは、初めて授かった子を流産で失った。泣きながら「ごめんね」と謝る菜穂子さん。その姿に、樹岡教諭は強く命の尊さをかみしめたという。

 祖母が助産師だった樹岡教諭は、「但馬では産科医不足などで少子高齢化が急速に進んでいる」と、子育てを支える地域の力が弱まっていると指摘する。流産から半年ほどで再び妊娠が分かったときは、「ここで子を産んで幸せにさせてやれるのか」と悩んだ。だが、この過疎地で生きる子どもにこそ命の大切さを教えなければ、と感じた。

 昨年四月。妊娠八カ月の菜穂子さんが教室に来て胎児のエコー写真を見せた。児童らは恐る恐る大きく膨らんだおなかに手を当てた。「スイカみたい」「堅い」「あ、動いた」。言葉は少ないが、目は輝いていた。

 「無事に生まれてこなかったら子どもにどう説明すればいいのか」という不安もあった。「あるがままを伝えればいい」という菜穂子さんに励まされた。「逆子がなおらないんだ」と、出産間近の父親としての不安を素直に児童に伝えた。六月、長男大地ちゃんの誕生を、クラス全体が喜んでくれた。

 二十八人の児童全員が、大地ちゃんを毎月抱っこした。自宅に招いて、おむつ替えの体験などをさせたことも。板書はほとんどせず、成長する姿を観察させた。樹岡教諭は「児童の生活態度が丁寧になっていった」と振り返る。

 今年三月の「二分の一成人式」。児童は皆、作文で「命を大切にしたい」「家族のみんなありがとう」などとつづった。樹岡教諭と菜穂子さんは、子どもたちの文章に授業前とは違う深みを感じた。


◆相手の気持ち、考える授業 三田の中学校

 自分の心を知り、人と通じ合う喜びを知ってもらおうと、三田市立ゆりのき台中学が「心を伝え合う豊かなコミュニケーション」に取り組んだ。

 2006年9月から12月、2年生343人が参加した。

 怒った顔や喜んだ顔の子どもの絵を見せる。「くそぉー」「やったー!」と添えられている言葉とともに、生徒は、描かれた子どもの感情や気持ちの変化を話し合う。人によって受け止め方が違うことを体験する。

 教員がいじめの劇を演じ、軽い気持ちで投げかけた言葉が、相手を傷つけることに気付いてもらう授業も行われた。

 「先生これっていじめとちゃう?」と言って来たり、「きもい」「うせろ」などの短絡的な言葉を使わなくなったりと、生徒らは少しずつ変わったという。


◆相談件数は3.5倍に増加 神戸市スクールカウンセラー

 神戸市教委は、阪神・淡路大震災が発生した1995年に国の調査研究委託事業でスクールカウンセラーを導入して以来、配置校を増やし続けてきた。2005年度から全中学校に配置した。

 市教委などによると、須磨事件が起きた97年度には、市内の小中高校計10校に配置。しかし須磨区に22校あった小中学校で配置されたのは1校しかなく、事件直後、区内の全小中学校に緊急配置された。須磨区の連続児童殺傷事件から10年を迎える本年度中には、カウンセラー向けに校内の事件や事故への対応マニュアルも策定するという。

 相談件数は、01年度(7150件)から06年度(2万5116件)にかけ約3.5倍に増加。相談内容は、不登校関係が約3割を占めトップ。学校や友人、いじめについての相談も多い。



◆「7歳でも死を理解」 英知大客員教授 高木慶子さん

 「兵庫・生と死を考える会」会長の高木慶子・英知大学客員教授(70)は、死生観のアンケート調査結果から、「七歳でも死を教えることができる」と話す。しかし「見えない命を教えるのは非常に難しい」と指摘する。

 兵庫は阪神・淡路大震災と須磨事件で、命の大切さを教えなければという意識が他府県に比べて高いという。県教委の「命の大切さを実感させる教育」の構想段階で意見を聞かれた高木教授は、それまで九歳からしか認識できないとされていた死ねば生き返ることができないという絶対性を、「調査結果から七歳でも理解できる」とアドバイスした。

 高木教授は「教員や教育法によって違いが出るのが命の教育。普遍的な教科学習と同様にはできない」とする一方、「恐怖や死を想像することで、少しでも自分の命を意識してほしい」と話している。

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