激情の底に母の顔も

 「勝手な思い込みで息子を殺してしまった。悔やんでも悔やみきれない」

 六月二十日、神戸地裁姫路支部。証言台で山本香代(37)が、夫の修(48)と暴行を加えて死なせた長男=当時(6つ)=について語った。

 修は検事に対してこう言った。「香代は長男を嫌っていた。ほとんど異常と感じるほどだった」(検面調書)

 幼い異母弟たちの世話を焼く長女だった。高校時代の教師らは、口をそろえて「おとなしく、心優しい子だった」と話す。だとすれば、このわが子への嫌悪感はどこから生まれてきたのか。

 看護婦の道を志した香代だったが、いくつかの仕事を経て、姫路市内のスナックで働くようになった。そこで常連客だった前夫と出会った。

 二人の生活は、しまりがなかった。パチンコなどで借金がかさんだ。一男一女が生まれたが、取り立てから逃れ、各地を転々とした。

 住む場所がないまま、一家四人が車で寝起きしたこともあった。二度の車中生活は、合わせて一年以上に及んだ。

 香代は結婚を後悔し、前夫を憎んだ。「失敗だった。生活に疲れ果てていました」(検面調書)

 その憎しみは今も残る。長男への傷害致死容疑で逮捕された後、弁護士にこう話した。

 「今のすべての原因は前夫にある。自分の人生を狂わせた男。長男は成長するにつれ、その男に似てきた」

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 尼崎での傷害致死事件で調べを受ける勢田知子(24)。亡くなった長男=当時(6つ)=は、親による虐待と判断され、三月から神戸市内の児童養護施設に入った。

 四月八日。長男の小学校入学を控え、施設の子どもたち一人ひとりに、縫いぐるみ付きの電報が届いた。全部で十五通。知子からだった。

 「仲良くしてね」。アニメのキャラクターとともに、そんなメッセージが添えられていた。母としての心遣いだった。

 四月下旬、初めて長男が一時帰宅した後、知子は施設の職員に手紙を寄せた。「『また帰っておいでな』と言ったら、『うん』と言っていたのでよかったです」

 そして、夏休み。長男は八月一日から、知子と夫の剛士(24)の元へ二度目の一時帰宅をした。虐待によって命を失ったのは、六日から七日にかけて、とみられる。

 当初こそ、帰宅を温かく迎えた二人だったが、意のままにならぬようになると暴力を振るい始めた。おねしょをする。施設に帰りたいとごねる。言うことを聞かない。ささいなことに腹が立った。

 「夫婦で『私らのこと好きか』と聞いて、長男が恐る恐る『好き』と答えると、『そんなわけないやろ』と殴る。そんなこともあったようだ」。捜査関係者が言った。

 今、取り調べの中で「自分の子だから、母親として育てたかった」と話す知子。

 八月二十八日、実況見分に同行した。長男の遺体をビニール袋に包む作業を再現した時、わっと泣き崩れたという。

 (受刑者、容疑者の呼称は省略します)

 

(掲載日:2001/09/23)

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